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事務長の湯沸室

ビバ・アメリカ

・ビバ・アメリカ
 プラスチックの話はお休みで、このネタをはさみます。
 60年初頭、フランスで生まれたイエイエ(Yé-yé)は(Yeah-yeah)を由来とし、アメリカのロックンロールやツイストをフランス風にアレンジした音楽ジャンルです。もっとも、「フランス語とロックは相性がよくない」のは否めず70年を前に消えてしまいますが、日本ではイエイエルック(レナウン)、イエイエソング(朱里エイコ、表記はEYĖ EYĖ)が流行しました。
日本にはフレンチポップスという、シャンソンと区別するジャンルがあります。シャンソンとは、フランス語の唄あるいは歌謡全般を指しますが、イエイエが従来のシャンソンとは明らかに異質であるためフレンチポップス、と区別したとの見方があります(日本のシャンソンとは、日本人に馴染みそうな曲を選んできて紹介して、積み上げてできた日本独自のシャンソン文化、でそれに遠慮したんだと思うのです)。
聞く処によるとシャンソンのお店では、「これはカンツォーネですけど…、フレンチポップスなんですけど…」とわざわざ断って歌う人がいるそうです(ちなみに、シャンソン“Chanson”とカンツォーネ“Canzone”は同じ語源です)。
そんなわけで、60年代から70年頭まで、日本ではフレンチポップス全盛でした(だったそうです)。
シルヴィバルタン、フランスギャル、ミッシェルポルナレフ、セルジュゲンスブール、アダモ、アランシャンホー等々。そして今回取り上げるのが、クロードフランソワです。62年、Belles! Belles! Belles! がヒット(この時代珍しいことに雪中でツイスト踊ってるPVあります、必見です)、66年に4人組の専属バックダンサーチーム“レ・クロデット”が結成されます。クロードが78年にこの世を去るまで、30名以上のクロデットが入れ替わり立ち代わりするわけですが、彼女たちの格好がスゴいのです。
 当時の歌番組は、観覧席に囲まれたそれは小っさい“台”に上がって歌います。真ん中にスーツ姿のクロードがいて、その横にビキニやレオタードを着けた彼女たちが踊ります。スクールメイツを従え歌ってたジャニーズJrやフォーリーブス、なんかとは大違いです。オトナの歌謡ステージなんです。
余談ですが、フランスギャルとの破局後に書いた楽曲“いつものように(Comme d’habitude)”、をテレビで見たポールアンカが、まったく違う歌詞に書き換えたのがフランクシナトラの“マイ・ウェイ(My way)”です。おお!
 さて、レ・クロデットにはクロードがプロデュースした二つの楽曲があって、クレジットもないスタジオミュージシャンが歌っています。クロデットは、その曲に合わせた(衣装)で踊ります。
 1曲目は「Chinese Kung Fu」。
鶴田友美(ジャンボ鶴田)の入場曲でしたね。昔のプロレスは入場する際にリングアナウンサーの紹介も、入場曲も無い寂しいものでした。そんな時代に、ファンク道場帰りの鶴田の入場に流してみたら、観客は大興奮。それ以来、馬場、他団体の猪木や坂口も自分の曲を決めて入場に使うようになりました。
昭和49年、鶴田友美のチャイニーズカンフーは日本プロレス界に革命を起こした曲でもあるのです。
 2曲目は、アメリカ建国200年と銘打って作られた、その名も「VivaAmerica」。
ディスコバンド名は“BANZAI”、日本向けにつけた名前です。ラジオ体操の掛け声よろしく、怪しいスペイン語のMCもバタ臭さ全開です。前作(ウッ!ハッ!の発声だけ)を超えるお陽気な仕上がりで、ディスコ黎明期の日本で大ヒット(というか日本だけ)。
B面は「RhythmAmerica」。メロディの無いVivaAmericaです、この内容で500円(当時)とは!
 レオタード姿の中国人ペギーグエンが、円熟のダンスを魅せるこの頃がレ・クロデットの全盛でした。
(当時の日本版PLAYBOYに記事が載ってました、今野雄二じゃなかったと思うです)
 今日、7月4日はアメリカの247回目の独立記念日(Fourth of July)。ビバ・アメリカ、でした。
 次回もレオタードネタ、は明日のこころだぁ!
第9回はここまで(ww)。礼!(04/07/2023)

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